秋のたより

        と き  九月二十二日(日)より二十九日(日)まで
                (25日水曜日は定休日)

        ところ 神戸・元町 丸太や 店内特設会場


 産地、とは読んで字のごとく産れ出でた土地、呉服屋が販売する商品もすべて産地が あります。産地を見学することの大切さ楽しさを教えていただいたのは名和野要さん でした。「草木染の工房を見学されますか」と誘って頂いて京都の中京区にある竹内 草木染工房に連れて行っていただいたのを皮切りに京都市内の手描友禅工房、型友禅 工房、刺繍工房、滋賀県長浜市の浜縮緬工場、野洲町の藍染工房「紺九」、余呉町の 手引糸工房、など各地を連れ立ってくださいました。それからは大島紬の奄美大島、 結城紬の茨城県結城市、紅花紬の山形県米沢市、みさやま紬の長野県松本市、小千谷 縮の新潟県小千谷市、久留米絣の福岡県久留米市、など機会あるごとに産地を訪ねま した。どの産地を訪ねても感銘を受けるのはものを産み出す人々のひたむきさ、そし て土地柄、風土というのでしょうか、この土地でこの人たちが作っているのだ、とい う手ごたえがしっかりつかめるのです。
 名和野要さんはさらにそのルーツを訪ねて世界各地を訪問され染織品を収集されて こられました。この2月、訪問先が100カ国に達したのを記念して弊店で収集され た民族衣装の展覧会を開催されましたが貴重な展示品に大きな反響がありました。そ の折「私が現在、制作アドバイザーをしている西陣の帯メーカー『西陣まいづる』が 30年前に京都府の美山町で帯工房を始められたのですが素晴らしい帯を作っておら れますよ。美山町もとても良いところで今もかやぶきの民家がたくさん残っているの です。」とお聞きしてご紹介いただくようにお願いいたしました。
 酷暑の夏がちょっと一息ついた8月21日、京都の自宅に名和野さんを迎えに上 がって車で美山町に向かいました。京都の西北、紅葉の名所高雄、北山杉が生い茂る 山間をぬけ京北町、周山街道を通り深見峠を越えてやっと美山町に着きました。その 間ほぼ1時間半、それもトンネルが山腹を貫き整備された道路を走ってのことですか ら帯工房が出来た30年前はどれほど遠いところだったのでしょう。工房を訪問する のは昼過ぎの予定だったので先にかやぶきの民家が残っている集落を訪ねました。川 と山にはさまれた一帯に驚くほどたくさんのかやぶきの民家が在ってまるで「まんが 日本昔ばなし」の世界でした。時間が止まっている、というか時間をさかのぼってい るというか、まさに日本の原風景を見る思いがしました。四辻に昔懐かしい真っ赤な 郵便ポストが立っていてその横手にはお地蔵さんの祠があります。柿木や黍畑の背景 にかやぶきの屋根が見える、少し苔むしているその表面は得もいえぬ表情がありま す。観光地になっていても人影はまばらでゆっくりと都会の喧騒を忘れて散策しまし た。束の間の夏休み。
 工房を訪れると工場長の植田雄治さんが出迎えてくださいました。30年前「西陣 まいづる」の織工だった植田さんは単身この地に来て美山町の人々に織りの技術を教 え込まれたそうで現在では伝統工芸士の認定を受けるほど熟練した織工さんもたくさ んおられます。30年前に京都から持ち込んだ木製の織機が今も使い続けられていま す。「美山織」と名づけられた帯は表地、裏地とも手織りで「すくい織」「くし織」 「へら織」という技法を駆使して織り上げられています。「すくい織」は絵柄を織り 出す技法で図案に従って杼(ひ)でたて糸をすくいあげながらよこ糸を織り込んでい きます。綴の織り方に似ていますがより自由に横糸を動かすので伸びやかな図柄に織 り上がります。「くし織」は木製の棒に釘をうちこんで櫛状の道具をつくりその「く し」をたて糸の間に入れ微妙に揺らしながらよこ糸を寄せることでたて糸に表情をつ けていきます。「へら織」は木製のへらを波状に丸みをつけそのへらでよこ糸を打ち 込むことでよこ糸に波状の模様を織り出します。「すくい織」「くし織」「へら織」 を使い分けて織り出される「美山織」は織物としてはこれ以上出来ないのでは、とい うぐらい自由な表現が可能になっています。「デザイナーがとんでもなく大胆な図案 を持ってくるのですが、見た瞬間は、こんなの出来るかいな、と思うのですけど、何 とかやってやろうと思うと出来るものです。」と植田さんは自信たっぷりに語ってく ださいました。
 「どうしてかやぶきの民家がこんなにたくさん残っているのでしょうね。」と名和 野さんに問い掛けると「陸の孤島なんです、ここは」都会の<文化>がこの僻地まで 押し寄せてこなかった。<文化>の先進さも浅薄さもここまでは届かなかった、その ことのマイナスもあればプラスもある。かやぶき民家の美しさは<文化>に汚染され なかった最良の遺産に思えます。そしてかやぶき民家を残し受け継いでいる美山町の 人々であればこそ織の極致ともいうべき自由にして複雑な「美山織」を織続けておら れるのでしょう。神戸から往復6時間の旅は実り多い旅でした。