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バイオリン 希望は出会いのなかに  バイオリン


  そののち人生を大きく変えることになる出会い、というものがあります。 1993年、震災2年前の1月、 京都北山のアトリエをたずね横山喜八郎先生に初めてお会いしたとき出会いの予感が閃 きました。 さる人を介して弊店のギャラリー響で個展を開きたい、 というお話をいただいて訪れたのですが、 数日前に降った雪がまだ庭に残っていたことが鮮明に思い出されます。 すこし凛としたあたりの空気に先生の印象がとても似つかわしかったのでしょう。 丁寧に作家活動について話をされ、製作の現場を案内していただき、 日展に出品される作品をはじめ、屏風、染額、 きものなどいくつか見せていただきましたが現代工芸美術展で大賞を受賞された四曲屏 風は圧巻でした。 伊豆半島からご覧になられた太平洋、その上に広がる大空に激しく動く雲、 自然のダイナミズムを表現しようとしました、 という先生の言葉に対面しているのは真の芸術家だと圧倒されました。
 フランスの片田舎の市場で開かれる美術展、 現代工芸美術展の出品作品の審査、 その人柄に感銘を受けられた武者小路実篤氏、染色を師事された皆川月華氏、 その一年前にアトリエを御訪問された秋篠宮紀子様のエピソードやお写真など尽きるこ とのない話題に時の経つのに気づかず、 昼過ぎにお邪魔したのにお暇するときは夕刻になっていました。
 帰路、地下鉄北山駅の階段を下りながら思わず家内と顔を見合わせました。 「横山先生だったらバイオリンを帯にして下さるかもしれないね。」 「どんな風に染めて下さるか見てみたい。」 今さっき見せていただき目に焼きついた先生の作品の清新な感覚、 大胆な構図、現実のようで実在ではないような世界、 この先生をおいてバイオリンをきものや帯に染めて下さる方はいらっしゃらない、 それは私達ふたりには必然のように思えました。
 横山先生の創作の姿勢、具像でも抽象でもない、 心で描くという意味をこめて『心象−横山喜八郎』 と題して開いていただいた個展の開催中、会場にお越しくださった先生に、 私達ふたりが音楽が好きなこと、楽器を弾くこと、 バイオリンのきものや帯を探して見つからず先生に作っていただけないかとおずおずお 願いすると、 唯ひとこと「おもしろいモチーフですね。」とだけおっしゃいました。 「作りましょう。」とはおっしゃって下さらなかったのですこし気落ちしたことを思い 出します。
 ところが数ヵ月後、 バイオリンの帯を作って下さっているという話が飛び込んできました。 そして忘れもしません、7月の終わり、届いたのです。 はやる思いをおさえながら広げたら、 それは想像をはるかに超える傑作でした。 あまりの素晴らしさに家内は狂喜し、私はお客様にも是非お薦めしたい、 商品として販売したいと考えました。 先生にご相談すると「良いでしょう。」というお答え、 楽器をモチーフに帯をシリーズで作っていただくことになりました。 それが『丸太やオリジナルコレクションコンサート』の始まりです。
 あれから7年、 いったいどれくらいたくさんの帯を染めていただいたでしょう、 そしてどれほどたくさんのお客様に喜んでいただけたことでしょう。 と同時にその7年はバブル経済の崩壊、きもの業界の低迷、 そしてあの忌まわしい阪神大震災とかつてない試練の時でもありました。 もし横山先生との出会いがなく、 『丸太やオリジナルコレクションコンサート』が生まれていなかったら、 今日、丸太やは存続しえただろうか、明日、 継続を期待することができるだろうか。 丸太やにとってはまさに起死回生の出会い、 新しく生まれ変わることを可能にした先生との出会いにどんな感謝の言葉があるでしょ うか。 この拙文をもってその幾ばくかをお伝えしたい、という思いで書いています。 そして何より横山喜八郎先生は私達に未来は未知の出会いがある、 という意味で希望があることを教えて下さいました。 さらに時代は不透明で不確実ですが先生に与えていただいた希望をもって一歩一歩進ん でいきたいと思います。