み さ や ま 紬

三年後の再訪

 三才山(みさやま)は長野県松本市の郊外、 車で二〜三〇分のところにあります。三才山、 といっても特定の山を指しているのではなく、 幾つかの山並にいだかれた地域の呼称なのですが、 三才山の地で親子二代にわたり「みさやま紬」 を作り続けておられる横山さんをお尋ねしたいと思い立ったのはかれこれ十年も前にな ります。
 京都室町の紬問屋「加納」の新作展でいつも心ひかれる織物がありました。 草木で染めた紬糸ならではの落ち着きのある色、 もっとも織物らしい織り方である縞や格子や極めて素朴な絣。 ことさらではないさりげなさのなかに素材の質と作り手の感性がにじみでている 「みさやま紬」。 魅いられた家内はそのひとつを初めて自分のきものに選びました。 「みさやま紬を作っておられる横山俊一郎さんをお引き合わせしましょうか。 きっと丸太やさんとはお話が弾みますよ。」 と紹介していただいたのが横山さんとのお付き合いの始まりでした。
 震災の年の春発行された「美しいきもの」に「立松和平の若き染織家探訪」 というシリーズで横山俊一郎さんが紹介されていました。 震災後の惨状のなかで呉服屋としてがんばらなくてはと気持ちを奮い立たせていたとき でしたので旧知の横山さんのご活躍がまぶしくてうれしくて思わずお電話をしました。 「地震、大丈夫でした?」と訊ねて下さったので、 店舗は無事残ったこと、一日も早く商売を立て直そうとしていることをお話すると 「丸太やさんはエライね。なんかこっちの方が元気づけられちゃった。 僕も織り続けられるかぎり織り続けようと思ってます。」
 翌年の夏、いよいよ三才山に行くことを決めました。 やはりこの眼で見てみたい、 どこでどんなふうに「みさやま紬」が作られているのかを。 暖かく出迎えて下さった横山俊一郎さん、ご両親、奥様。 草木で染める、手機で織る。 そのひとつひとつの工程にどんなに深く思いをこめておられるかを丁寧に熱心に話して 下さいました。 午前十時過ぎにお伺いして気が付いたらもう午後五時になっていました。
 あらから三年、もう一度三才山を訪ねてみたい、 という思いが募ったのはこの三年の間に 「みさやま紬」が少しづつ変わっていったからです。 命の色がより深みをまし織りの意匠がさらに広がりをもっていたからです。
 三年ぶり訪れた三才山はあのときと同じように空は高く、 空気は清々としていました。 少し耳が遠くなられましたがご両親はご健在で音楽のお好きなお父様は 「今年のサイトウキネンオーケストラはベルリオーズの 『ファウストの劫罰』をやるだ。切符が手に入ったから聞きに行く。」 と青雲の志未だ失わず、の面持ちでした。「どうぞ遠慮なく食べてください。」 と奥様がきゅうりやメロンを次から次へと出して下さるのも三年前と同じでした。
 横山俊一郎さんは「自分で言うのもなんだけど、 マイナーチェンジというのか、少しづつ良くなっていると思う。 もっと良いものをと思って作ってるから。でも、 だんだん手機の道具を作る人がいなくなって、筬(おさ)とか杼(ひ)とか、 必要な物を今の内に手に入れておこうと考えているんですよ。」 「もっと凝ったきものはいくらでも作れるんだけど、結局高くなっちゃうから。 あんまり高くなり過ぎたら着てもらえないでしょう。 やっぱりお客さんに着ていただきたいから。 でもお客さんは喜んで下さっているみたい。古いもんも大事に着て下さって、 最後は綿入れにして、 目が詰まっているから綿が出なくていいと褒められましたよ。」 その語り口には嘘も衒いも奢りもなく、 しっかりとモノをつかんでモノをつくる人の口からしか語れない言葉であることもあの ときと同じでした。
 まだまだ本当に良いきものを作る人がいる、 確かに作る条件はより難しくなっているけれど、 作るという強い意欲を持つ人がいるかぎり良いきものは生まれる。 お伝えしなければならない大事なことは何よりそのことだ、 と心に刻みました。