春のたより
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とき 二月二十一日(日)より

  二十八日(日)まで

ところ  弊店

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 余りに身近で余りに潤沢だから本来の価値を見失っているかもしれない西陣の織物、 精巧を究めた織をあらためて見直すときそんな想いにかられます。 五〜六世紀頃大陸から帰化した秦氏が京都洛西の太秦に絹織物を伝えて以来 いつの時代にあっても最先端の技術と感性で最高の絹織物を生み続けた西陣。 菱屋六右ヱ門は西陣織の精華を今につたえています。
おもいで色模様
 京都は北に上がるとなぜか時雨やすくなります。 北大路新堀川通、一休和尚の大徳寺のま隣にある「菱屋六右ヱ門」 高垣織物にはじめてうかがった日も急に小雨がパラつきだして 資料館の駐車場に車を停めて裏手にある織工場まであわてて駆けて行きました。 玄関を入った途端ガターン、ガターンと機の音。 上がり口のすぐ横の部屋で織上がった生地の裏糸を刈り込む作業をしていました。 機の表は細やかで穏やかで華やかですが裏には想像もつかない程の色糸が所狭しとはっ ています。 まるでバリカンのようなもので裏糸を刈り取る作業は思わず六甲牧場の羊の毛を刈り取 る場面を想像してしまいました。
 高垣織物の大杉さんに案内していただいて二階へ、 「絣」「紬」「風通」「お召」「朱珍」、 織の技法を駆使したきものや帯が展示されていました。 あるものは古典に範をとった意匠、あるものは現代の感性にたったデザイン、 そのすべてに「西陣」の伝統が息づいています。 お茶をいただきながら話をしている間もガターン、ガターンと機の音。 「織っているところを見せてください」と階下へ。 通路をへだてた別の部屋が織場。 紋紙を使ったジャガードの織機に能衣裳柄の着尺地がかかっていました。 「今でも紋紙を使っておられるのですね。」 「うちはそうですが、少なくなりましたね。 だいいち西陣で機織りをしているところが少なくなりましたから。」 何度見ても織物の現場は複雑で、 どうなって織られていくのかを考えると頭が痛くなります。
 「今は売れる売れない、なんて考えないですね。 そんなこと考えたらモノは作れませんから。自分が作りたいもの、 好きなものを作る。 好きなものを作っているわけですから売れなくても構わない。 売れ残った商品に埋もれて死ねたら本望です。」 そう屈託なく話される大杉さんの表情は冴々としています。 今どきモノを作り続ける人達に共通した腰が座った思い切りをつけた覚悟のようなもの 。 帰り際玄関の土間に新調された紋紙が届けられていました。 少なくとも今はまだモノを作り続ける人達がいる、 その人達に感謝の気持ちでいっぱいになりました。