古来より、人の集まるところでは豊かな文化が育まれてきました。江戸もその一つ。四〇〇年以上昔、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開いたことを期に、江戸は行政の中心となるとともに、文化の中心地としても発展を始めたのです。全国から武士や町人が江戸に集まり、それとともに高度な染織技術も伝えられました。中でも染織に不可欠な水が豊富に得られる神田川や隅田川沿いには多くの職人が住み、急速に発展していく江戸の気風を受けて独自の発展を遂げていきました。その文化は現在まで脈々と受け継がれています。 この度弊店では東京の染織家、高橋孝之さんの個展を開催させていただきます。でも、今回の個展をご覧いただくと「これは本当に個展なの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。なぜなら、一つの工房で作られたとは思えない多種多様な作品が並んでいるからです。友禅染の着物があるかと思えば、型染や水の文様染の小紋もあり、古典柄があるかと思えば、モダンアートのような斬新な柄もあり。普通なら、全く別の工房の作品と思えるものが、一同に集まっているのです。でもこれらは正真正銘、高橋孝之さんの作品なのです。高橋孝之さんの工房では、東京手描き友禅、江戸更紗、一珍染、墨流し染めなどの着物や帯を制作しています。これほど多くの技を、しかも第一級の技術力で駆使される方は他にいらっしゃらないでしょう。 去る三月二十七日、個展開催のご挨拶のため高橋孝之さんの工房をお訪ねしました。高橋孝之さんの工房は、神田川上流の街、高田馬場にあります。古くから染工場が多く並ぶ地域です。閑静な住宅街の中に入っていくと、少し奥まったところに「座」と書かれた暖簾が。高橋さんの工房に併設されたギャラリーの暖簾です。中に入ると、高橋さんが迎えてくださいました。 工房は着物一反を張ることのできる長い染場。ここで墨流し染や江戸更紗など、様々な技法を使い分けます。中央に置かれた長い水槽は墨流し染めの水槽。墨流し染めは、水に染料を浮かべて布に写し取る技法。 一瞬で染めるため、少しのミスも許されない難しい技です。板場では江戸更紗や型染小紋などが染められます。型染に使う型紙は高橋さんのお父様の代から使い続けているものもあり、大事な財産です。奥の机では手描き縞の制作途中でした。高い集中力を長く持続できなければ描けない緻密な手わざです。高橋さんが駆使される技法は、一つ一つがとても高度な技。普通ならその一つを極めることさえ難しいものです。そんな丁一級の腕を持ちながらも高橋さんは「染めることはとても楽しいですよ」と笑い、気取ることがありません。この自然体が高橋さんの魅力でもあるのでしょう。 高橋さんの技術力は「とても難しいことを、さも簡単そうにさらりとやってのけるところが、高橋さんの人並み外れた凄いところです」と作家仲間も一目置くほど。しかし、高橋さんの今があるのは、人並みならぬ努力の積み重ねです。「伝統」というと、昔から伝えられている技をそのまま継承しているように思われるかもしれませんが、本当はそうではありません。伝えられたとおりにやればできるほど単純なものではないのです。とても楽しげに制作されている高橋孝之さんも、現在にいたるまで様々な試行錯誤を重ねてこられたそうです。何度も失敗し、失敗を重ねる中で技術を磨き、他の誰にも真似できない境地に至っているのです。 |
水の上に顔料を浮かべて文様をつくり、布に写し取って染める技法。水面に浮かぶ模様はコントロールが難しく、修正もできないため、着物一反を美しく染め上げるには高い技量が必要。 | もち米を使う友禅糊に対し、小麦を使うのが一珍糊。ろうけつ染に似たひび割れが特徴で、柔らかな表情が魅力。 一珍糊は脆く、扱いが非常に難しいため、使いこなせる人はごく僅かしかいない。 |
複数の型紙を使い、色を重ねて染める江戸更紗。インドで生まれた技法で、オリエンタルな文様が多く見られる。 二〇枚以上にもなる型紙を、ずれることなく重ねていく。 |
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型や定規などを一切使わず、布に直接線や点を描く技法。十三メートルある着物に、ブレることなく線を描いていく。手描きならではの、やさしい味わいが魅力的。 | 墨流し染の浴衣は高橋さんの超人気品。同じ柄は二つと無い、オンリーワンの浴衣です。綿麻交織生地は肌触りも良く、夏の襦袢を中に着れば夏のカジュアル着物としてもお召しいただけます。 | 高橋孝之さんの下で学ぶ若手作家・佐藤さとみさんの作品。高橋さんも「染の技術は申し分なく、色彩センスもすばらしい」と太鼓判を押す。瑞々しい作品をぜひお手にとってご覧ください。 | ||||