一際厳しかった冬の寒さもようやく和らぎました。木々も春の訪れを待ちわびるように芽を膨らませています。日本の季節はグラデーションのように日々移り変わっていきます。この自然の美しさを味わい、日々の暮らしを四季の移ろいに重ねたいと思うのは、千年昔の人たちも、今の私たちも、同じなのかもしれません。
 去る2月10日、私は京都上賀茂にある、日本刺繍作家の森康次さんの工房を訪ねました。大寒波は過ぎたものの、まだ冷たい風が身にしみる賀茂川沿い。土壁に囲まれた路地を行くと『アトリエ森繍』という看板が見えました。初めて工房を訪ね、少し緊張していた私を、「ようこそお越しくださいました」と気さくに出迎えてくださった森さん。案内していただいた工房は、窓から陽の光がやさしく射し込む中に、大きな箪笥と小さな刺繍台のある、つつましい部屋でした。この工房で、森さんはお弟子さんの佐藤未知さんと二人で作品作りをされています。
 森さんはまず「3月に出品予定のものを少しご覧ください」といって作品を広げてくださいました。 「わぁ、かわいい!」 初めて森さんの作品を目にしたとき、私は率直にそう思いました。これまで写実的な友禅染や格調高い西陣織を多く見てきた私には、森さんの作品はどこか愛らしく感じられたのです。デザイン画やスケッチも見せていただきました。「何度も何度も描き重ねていくうちに、ひとつのデザインが生まれていきます」と森さん。草木や花や、風や光、生きとし生けるものの美しさ、それを慈しみながら見つめる森さんの心が、作品となっているように思いました。私がかわいいと感じたのは、命あるものを愛おしく思う心なのかもしれません。
 日本刺繍は糸の準備から始まります。刺繍に使うのは重さ約12グラムの絹糸。これを必要な色に自分で染めます。例えばさくら色といっても、その色のニュアンスは無限にあります。工房にある大きな棚にはそのようにして染められた、おどろくほどたくさんの刺繍糸が収められています。この無数の色糸を使って繊細な色彩を生み出します。刺繍糸には始め、撚りがかかっていません。森さんはその糸を必要な太さに分け。摩擦に強くするために手で撚りをかけます。作品によって撚り加減にも変化をつけます。
 糸の準備ができれば生地に刺繍を施していきます。下絵に沿ってひと針、ひと針、針をすすめていきます。静かな工房には「シュッシュッ」と生地に刺繍糸が通る音が響いています。あっという間に帯の柄の一部を刺繍して見せてくださいました。流れるような動きで手早く縫っていますが、実は生地の目を読み生地の谷間を選んで針を刺しています。繊細さと正確さが問われる仕事です。 3月の個展では30点ほどの作品をご覧いただけます。「弟子の佐藤と二人でコツコツ制作していますので、たくさん作ることはできないのですが、昨年に個展のお話を頂いてから少しずつ準備を重ねてきました」と話す森さん。春の陽気に誘われて葉を広げる木の芽のように、弊店で広がる森さんの作品の息吹をぜひ感じていただきたいと思います。 皆様のお越しを心よりお待ちいたしております。
三木 弦・麻衣子