「暑さ寒さも彼岸まで」とは言い得て妙だと、いつもこの時期になると感じます。暦3月になると、なんとなく気持ちは春になっているのに、「春は名のみの風の寒さ」が身にしみるのです。
 去る2月10日に京都に出向き、上賀茂神社の程近くに在る森康次さんの工房をお訪ねしました。3月18日から弊店で個展を開催していただくことへのご挨拶でした。厳冬の最中でしたので小雪が舞っていました。一昨年11月に森康次さんの最初の個展を開催していただくにあたり初めて工房を訪問した折には、森康次さんご本人が手ずから刺繍の基本を見せてくださいました。刺繍糸の撚り方、指し方、など。今回は2度目の訪問なので、早速、弊店での個展開催のために制作してくださった新作の数々を拝見させていただきました。
 新しく創作されたばかりの、訪問着、付下着尺、袋帯は、どれも初々しい輝きを発していました。思わず、「素晴しいですね」、と言葉が出ました。森康次さんの刺繍で創作されていながら、前回の個展で発表された作品とは何かが違う。
 帰りしな、賀茂川べりまで見送ってくださった森康次さんは、「毎日、この川べりを散歩するのです。気持ちの良い、綺麗な景色でしょう」。私は、森康次さんの心の眼に、何が写し撮られているのかを感じたように思えました。きっと、その何かが、「糸の息吹」として表現されているのでしょう。


 私事で恐縮ですが、最近ブログを始めました。「神戸・元町 丸太やの情景」というブログです。主に店でのこと、着物のこと、コーディネートのことなど、思ったことをつらつらと書いています。ブログを開設して間もなく、開設お祝いのコメントを頂きました。今回、「糸の息吹」と題して刺繍展をさせていただく森康次さんからでした。ありがたいことです。森康次さんもブログを書かれています。「日本刺繍 と きものつながり」というブログです。森さんの近況が、はんなりとした文体で綴られていて、それでいて時に切れ味鋭い批評もあって、楽しく拝読させていただいています。
 去る二月十日に、上賀茂にある森さんの工房へお伺いしました。空はうす曇りで、時折、雪がはらはらと舞っていました。出迎えてくださった森さんも、お弟子さんの佐藤さんも、お変わりないご様子でした。
 前回弊店で森さんの個展をさせていただいたのは、一昨年の十一月のことです。「あれからなかなか上向かなくて、このままでは私と佐藤と二人してスルメになってしまうなぁ〜と言うとったんです」と冗談交じりにお話しされていましたが、そんな厳しい中でも意欲的にものづくりをされているご様子でした。最近は別誂えも積極的に受けられているそうで、紙に描いたデザイン画もいくつか拝見させていただきました。早速作品のほうも拝見させていただきましたが、前回は見られなかった新しいデザインのものも多数あり、目を奪われました。「せっかく再び個展をさせていただくのですから、前回とは違う私を見ていただきたいと思います」と森さんはおっしゃっていました。森さんの作品にはどれも動きがあるような印象を受けます。植物の枝ぶりも躍動的で、花は風に舞うようで、光は瞬くようで、刺繍は布に溶け込むかのように繊細なのに、デザインは力強ささえ感じます。それは、例えば小さな木の実が、その内に大木へ成長するエネルギーを秘めているように、変化しようとするもの、動きあるものがもつ生命力が刺繍に込められているからなのではないかと思います。
 森さんはブログの中で「脱皮しない蛇は死ぬ」というニーチェの言葉を引用しておられました。「伝統は守りに入ると絶える」とはある染織作家さんの言葉ですが、森さんもまた、常に成長することを意識されているようです。ブログの中でも、日々の生活や季節など、身の回りの細やかな変化をいつも心に留め、印象を一つ一つ言葉に置き換えておられます。細やかな変化の連続が、作風に新たな命を与えるのです。
 ご来店を、心よりお待ちいたしております。
三木 弦