去る3月13日、信州上田に小山憲市さんを訪ねました。小山憲市さんの工房を訪問するのは、12回目です。これまでは、ずっと、夏の最中に、車に乗って行ったのですが、今回、初めて、新幹線を乗り継いで、伺いました。3月にお伺いしたのは、小山憲市さんの8回目の個展になる、「共に歩む 小山憲市 織個展」、を4月3日(金)から12日(日)まで開催していただくに当たって、ご挨拶をさせていただくためでした。
 今回、小山憲市さんに個展の開催をお願いしたのは、息子、三木弦(ゆづる)が、4月1日に、「丸太や」に入社し、お客様へのお披露目、として、小山憲市さんを措いて、個展を開催していただく方はおられないからです。息子は、この3月25日に、甲南大学経営学部を卒業いたしましたが、高校2年生の冬に、将来、「丸太や」に入って呉服屋になる、と決心いたしました。その理由は、平成9年夏以来、毎年、小山憲市さんの工房をお訪ねし、小山憲市さんと私との間で交わされる、呉服に係わる諸事情についての会話を耳にして、密かに、呉服屋になる決心を固めていたからです。いよいよ、「丸太や」に入社する、という直前、呉服屋になる、という決意を持って、小山憲市さんをお訪ねいたしました。
 東海道新幹線から長野新幹線に乗り換え、午前11時47分、上田駅に到着いたしました。出迎えてくださった小山憲市さんの車で、早速、「草笛」という手打蕎麦のお店に案内していただきました。信州蕎麦の人気のお店で、昼食をご馳走していただくのですが、いつも満員で、わざわざ予約してくださっていました。味は、勿論、さることながら、量がスゴイ。並で、普通の大盛以上。中盛を注文した息子は、食べあぐねてしまいました。大盛は、ちょっとやそっとでは食べきれないでしょう。並を注文した私ですら、満腹ですから。
 小山憲市さんのご自宅では、奥様が爽やかな笑顔で出迎えてくださいました。お茶とお菓子を頂きながらお話していると、息子さんも、お嬢さんも、顔をのぞかせて、挨拶してくださいました。小山憲市さんは、新作の訪問着や着尺を広げながら、「ものづくり」について、息子に説明してくださいました。一見、無地に見えるような着尺が、経糸(たていと)に、なんと五十種類の色糸が織り込まれていることなど、どれほど、細やかに心をくだいているのかを。息子は、神妙に、真剣に、お話を聞いていました。
 出来上がった着物地を見せていただいた後、自宅の敷地に隣接した、染場と織場を見学させていただきました。「私にとって、糸作りが、一番大事な作業で、なかでも、精練(せいれん・絹糸に含まれるセリシンを除く工程)が決め手で、精練がキチット出来ないと、染も織も上手く行かないのです」、と小山憲市さんはご説明してくださいました。私は、これまで、染や織の工房を、あちこち訪ねましたが、精練をご自身でなさっている、という話は、寡聞にも聞いたことはありませんでした。「精練が命です」、とは、精練に心を尽くしてこそ、糸に命が与えられる、ということなのでしょう。
 「糸染めも、以前のように、一度に何反分も、というわけにはいかなくて、この容器の中で、一反分づつ染めています」。「糊付けも大事な作業で」とおっしゃって、糊の入った容器を見せてくださいました。「布海苔(ふのり)ですか」、と家内がお訊ねすると、即答されなかったので、家内が、「企業秘密ですか」と重ねてお訊ねすると、「そういうわけでもないですが、勿論、布海苔は使っていますが、その他にも、色々、使っていますので」。
 それから、別棟の織場を案内いただきました。一階が機織(はたおり)、二階が経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を織機にかけるための作業場です。とりわけ、整経という、経糸を織機にかける準備作業は、細心な配慮が必要だそうで、「一端、経糸を織機にかけてしまうと、取り返しが付かないので、失敗が許されないのです。どの場所に、どの色糸を持ってくるか、いつも、悶々と、悩みに悩みます」。一反の織物が出来上がるまでの、一部始終を見せていただいて、それぞれの工程に、心を尽くされるお話を聞かせて頂いて、小山憲市さんの作品の素晴しさの秘密が解けたように思えました。
 その後、一階に降りて、紬糸が保管されている部屋で、様々な種類の紬糸を、手で触らせていただきながら、それぞれの紬糸の特徴を説明してくださいました。「これが、手引き真綿の糸で、この糸を経糸に用いて、織れないものか、と試行錯誤をくりかえしたのですが」、と手に触れさせてくださった糸は、ほとんど真綿の状態で、確かに、この状態で織ることは出来ないだろう、と素人目にも感じました。「ところが、この糸を糊付けして、タライの上に、何度も何度も叩きつけてみたら、織れるようになったのです。弦君、君もやってみようか」、とその糸を持って、染場に戻られ、糊付けして持ち帰られました。「こうするんだよ」、と糸の枷(かせ)を手に持って、振り上げたかと思う間もなく、バッシ!バッシ!と床も揺れるような勢いで、叩きつけるのです。「じゃー、弦君、やってみて」。息子が、見よう見まねでやってみたのですが、バッシ!が、バッシャ!それでも、五分ばかり、叩き続けました。
 時計を見ると、もう午後5時を過ぎています。新幹線の時刻が5時45分発なので、そろそろ、お暇しなければなりません。今回の訪問で、今まで以上に、私が感じたのは、小山憲市さんの熱意でした。織物づくりに賭ける情熱。きっと、息子に、伝えようとしてくださったのだ。織物づくりが、どれほど心を尽くしたものか、しかし、思いを込めて、その思いが報われることが、どれほど大きな喜びであることか。「弦君、これからは、君も一緒に、共に歩もうね。この素晴しい織物が、創り続けられるように」。熱く、熱く、息子に、語りかけてくださったのだ、と思いました。