去る、5月7日、水曜日、定休日だったのですが、京都市中京区黒門通六角下る、にある、大野信幸さんの工房をお訪ねしました。大野信幸さんは「伊勢型小紋」という、江戸時代以来の伝統的な型染の技法を受け継がれた伝統工芸士です。5月24日(土)から6月1日(日)まで、弊店で、「大野信幸 伊勢型小紋 別染受注会」を開催していただくに当たって、打ち合わせにお伺いしたのです。現在、「丸太や」は、私と家内の二人で商売をしていますので、二人揃って外出できるのは定休日しかありません。休みの日に休むのは大切なことですが、商売には代えられません。まして、「丸太や」が何より大事にしている「商売」には。
 「丸太や」が何より大事にしている「商売」、とは、お客様におすすめする「商品」を、誰が、どこで、どの様に作られたものなのかを、きちっと確認した上で、是非、お客様におすすめしたい「商品」であることを確信して、初めておすすめする、という「商売」です。ですから、おすすめしたい「商品」と出会ったとき、まず、その「商品」の制作現場を訪ねることを常としています。
 大野信幸さんの「伊勢型小紋」を初めて拝見したのは、一昨年の9月のことでした。京絞りの寺田豊さん、綴織の服部秀司さんから、良いお仕事をされておられる方だ、とご紹介いただいて、工房にお連れ頂いたのです。大野信幸さんは、とてもお人柄で、そのお人柄が挙措ににじみ出ています。善良で、気骨があって、阪神・淡路大震災が勃発したときは、被災地で救援活動に奮闘されたそうです。
 「文は人なり」、仕事もまた人なり。大野信幸さんの仕事には、その人柄がにじみ出ています。わずか20センチに満たない型紙を、繰り返し繰り返し生地の上に置いて、13メートルの長さまで均一にムラ無く糊を置く。気の遠くなる手仕事。その仕事を成し遂げるのに無くてはならないのは、息の長い集中力。その仕事を支えるのに欠かせないのは、伝統技法を守り抜く使命感。根気と誠実さ。その二つながらを大野信幸さんは合わせ持っておられるのです。
 「伊勢型小紋」は、「伊勢型」と呼ばれる「小紋型」を用いて染める技法です。「伊勢型」には、「鮫小紋」、「行儀小紋」、「角通し」、など、極小の「点」や「四角」を模様にしたもの、「千筋」、「万筋」、など、「縞」を模様にしたもの、そのほか、「文字」や「家財」、「玩具」、などを模様にしたものなど、実にさまざまな意匠があります。「伊勢型」、という名前の由来は、江戸時代から今日に至るまで、「伊勢白子」、現在の三重県鈴鹿市白子、で生産された「型紙」、だからです。「伊勢白子」、は江戸時代、紀州藩の飛び地で、「伊勢型紙」は、紀州藩の専売品として、その生産は、手厚く保護、奨励されました。「伊勢型紙」は、「美濃和紙」を柿渋で塗り固めたものに、錐や小刀のような道具で模様を彫りこんで制作されます。
 「伊勢型紙」は、江戸時代、武士の裃(かみしも)を染めるのに、当初、用いられました。各藩は、それぞれ「お定め小紋」、として、特定の「小紋型」を定め、正装として着用しました。その後、「伊勢型紙」を用いた模様染の着物は、広く庶民にも普及し、江戸町人の趣味嗜好で、粋で、お洒落で、楽しい、「小紋型」が、「伊勢白子」で、数多く彫られました。その「小紋型」を江戸で染めたのが、「江戸小紋」です。「江戸小紋」は、「小紋型」を用いた着物の代名詞のようになりましたが、古来、染色の一大産地である京都でも、江戸時代以来、「伊勢型紙」を用いた着物が染め続けられています。大野信幸さんは、若くして東京の染工房で修行され、「小紋染」を習得されました。以来、京都市中京区黒門通の工房で「伊勢型小紋」の制作に従事され、経済産業省から「伝統的工芸品」の技術保持者として、「伝統工芸士」に認定されています。
(伊勢型紙 人間国宝・六谷紀久男 制作 大野信幸 所有)
 現在、「江戸小紋」、とか、「伊勢型小紋」、と称する商品は市場に数多く出回っています。しかし、その大半は機械で染められたもので、大野信幸さんのように、「伊勢型紙」を用いて、手で糊置きをし、手で引染めをした、「江戸小紋」、「伊勢型小紋」は、ごくわずかしかありません。その理由は、技術的に極めて高度で、継承者が数少ないからです。しかし、本物の「伊勢型紙」を用いて、手で糊置きをし、手で引染めをした、本物の「伊勢型小紋」には、機械染めで決して表現できない、奥行きや、深み、ぬくもり、という得も言えぬ表情があります。確かに、一反一反、時間をかけ、手間をかけて、職人芸の極致を持って制作される「伊勢型小紋」が、機械染めの反物のように安価であるわけではありません。そのことが、やはり、本物の「伊勢型小紋」が市場から消え去ろうとしている大きな理由ではあります。
 しかし、生地代、手間代、技術料、という本来の原価から誠実に割り出された場合、「伊勢型小紋」は、その内容に十二分にふさわしい価格で販売できるのです。「丸太や」で提供する価格は、そういう合理的な価格である、と断言してはばかりません。逆に、機械染めの場合は、大量生産、大量販売、だからこそ可能な価格であって、同柄、同色、が一杯、市場に出回っての価格です。しかし、大野信幸さんの「伊勢型小紋」の場合、一点から制作していただくことが可能なのです。逆に言うと、一度に同じものを大量に生産することは出来ないかわり、例えば、お客様が、是非、この「伊勢型紙」の柄で、この色で、と、ご注文いただいた場合、機械染めでは対応不可能ですが、大野信幸さんの場合、何の問題も無く、可能なのです。