昨年の夏、信州の松本に出かけた折、神戸に帰るのに、少し時間があったので、長野自動車道・松本インターのすぐ側に在る「浮世絵美術館」に立ち寄りました。中学生の頃、浮世絵がとても好きになり画集を買って楽しんで見ていました。美術の授業でポスターの制作があり、歌麿の美人画を模写して「浮世絵展」のポスターを描いたら、先生に評価され、市内の絵画展に出品されて賞を頂いたことがありました。
 松本の「浮世絵美術館」は所蔵作品が充実していて堪能しました。これほど沢山の原画を間近に見たことが無かったので浮世絵の芸術性の高さに驚きました。浮世絵がヨーロッパの画壇に衝撃を与えたのは、あながち異国趣味というだけではなく、浮世絵の芸術作品としての完成度が感動を与えたのでしょう。浮世絵がなぜ芸術作品としてそれほどの高みに達することが出来たのか、勿論、それは浮世絵を制作した浮世絵作家の芸術性であり、彫師、摺師などの高度な技術、上質の和紙や精巧な道具、があってのことでしょうが、それ以前に、それ以上に、より高度な浮世絵を求める江戸の町人の文化的要求があってのことでしょう。その江戸町人の鑑賞眼の高さに驚かされました。
 最近、歴史を読み返していますが、江戸時代が、日本の歴史上かつてない、庶民文化が誕生し、成熟した時代であることを知りました。その一番の条件は平和であったこと、その太平の世に、農業が発達し、それに伴って商工業が発展したことです。江戸は、まさに、将軍のお膝元として太平の世を謳歌し、庶民文化が開花しました。浮世絵に、より高度な、より精緻な表現を要求した江戸町人の鑑賞眼は、当時すでに世界的にみても屈指の大都市であった江戸の、庶民文化の成熟によって磨きぬかれたものだったのでしょう。
 江戸時代以来の、江戸の染織技法を今に伝える高橋孝之さんの作品を見るたびに、江戸の爛熟した庶民文化の精華を見る思いがいたします。「粋(いき)」という言葉で表現される、江戸町人の感性。もったいぶった「野暮(やぼ)」を嫌い、さりげなさ、を大事にする。ものの真実に通じることを「通(つう)」として尊び、真贋を見抜く眼を大切に養ってきた。江戸町人の理性や感性が、高橋孝之さんに、しっかり受け継がれて、息づいています。
 昨年、暮れも押し迫った十二月十九日、東京高田馬場の高橋孝之さんの工房をお訪ねしました。一月十九日から弊店で開催していただく「古法江戸染 高橋孝之 染個展」のご挨拶にお伺いしたのです。高橋孝之さんは、「墨流し染」や「木目染」など、現在、その特殊な技術を駆使できる数少ない染色家ですが、「一珍染」という、真に貴重な染色方法の達人でもあります。今回の個展では、「一珍染」を特集して開催して頂くことをお願いいたしましたので、工房には既に制作された「一珍染」の着物や帯が置かれてありました。
 「いかがでしょうか」と高橋孝之さんは、いつもの穏やかで飾り気の無い表情で、次から次へと「一珍染」の着物や帯を広げて見せてくださいました。「わー、素敵」と、どの着物にも、どの帯にも、家内は歓声を上げています。手描きあり、伊勢型あり、色も柄も、本当に多彩です。それらすべてが「一珍染」という、友禅染が誕生する以前の、古風な染色方法で染められているのです。「友禅染はもち米の糊を使って染めますので、柄の輪郭がクッキリしていますが、一珍染は小麦粉の糊を使いますので、防染力がもち米ほど強くないので、染料が時によって中に入り込みますので、少しにじんだような染め上がりになります。ですから、表情が柔らかで、糊にひび割れが入ったりすると、面白い表情が出るのです」と説明してくださいました。成る程、確かに、友禅染とも、伊勢型小紋とも、違う独特な表情があります。「小麦粉に布海苔を混ぜるのですが、その練り方がコツで」と、さらっとおっしゃいますが、木戸源生さんが「高橋さんにしか出来ない技術です」と絶賛されていました。
 「一珍染」は室町時代には、すでに誕生していたと思われる染色技法ですが、技術的な困難さがあって、必ずしも数多く制作されていませんでした。今回、貴重な「一珍染」を、その達人である高橋孝之さんの作品によってご覧頂くことになりました。江戸庶民文化の「粋」を今に伝える、高橋孝之さんの「一珍染」を是非ご覧下さい。遥かな時を越えて香り来る江戸文化の華を。