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呉服の商売に携わって34年、わずか34年の間に呉服の商売は激変しました。とりわけ、ここ数年の変わりようは驚くばかりです。栄枯盛衰は世の常ながら、かつて神戸の呉服屋を代表する店の幾つかが見る影を失いました。一方、元町商店街には新たに呉服屋が何店舗か開業いたしました。弊店は、お蔭様で堅実に呉服業を継続しておりますが、しかし、その商売の中味は、この34年の間に激変いたしました。 何が変わったのか。一言でいうと、お客様のお求めになるものが変わった。呉服の商売でいうと、お客様にとって「きもの」は「持つ楽しみ」、から、「着る楽しみ」に変わった。「所有する価値」から「使用する価値」へ、お客様の価値観が変わったのです。かつて、呉服の商売は、持つこと、それ自体が目的のように「きもの」をお勧めしてまいりました。お客様も、お嫁入りのお支度など、持つこと、持たせることを大切に「きもの」をお求め下さいました。しかし、「箪笥の肥やし」という言葉が何より雄弁に物語っているように、本来、着ることが目的の「きもの」が、着られないままであることが当たり前、ということがいつまでも当たり前であるはずはありません。着るために、着る楽しみのために、「きもの」をお求めになる、呉服の商売も、ようやく当たり前になりました。 お客様が、着るために、着る楽しみのために、「きもの」を求められるようになると、求める「きもの」も自ずと変わってきます。買いやすい「きもの」、着やすい「きもの」、お洒落な「きもの」。お客様が求める「きもの」が変わってくると、呉服の商売も自ずと変わらざるをえません。本当に良質で、安価な「きもの」を提供できなければならないのです。弊店の出した答えは「必要最小の経費」と「必要最短な流通」による商品提供です。 14年前、「バイオリン柄の着物や帯が欲しい」という家内の願から、音楽をモチーフにした「丸太やオリジナルコレクションコンサート」が誕生しました。横山喜八郎さんのローケツ染、名和野要さんの型染、芳賀信幸さんの藍染、長田けい子さんのローケツ染、小山憲市さんの上田紬、と「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の着物や帯は、少しずつ、その世界を広げていきました。振袖や訪問着のようなフォーマルから、小紋や紬のようなカジュアルまで、さまざまな着用シーンに応じた着物が生まれました。しかし、帯はローケツ染や紬など、どちらかというとお洒落帯ばかりでした。振袖や訪問着にも合わせられる袋帯があれば、と願い続けていました。しかし本格的な織の袋帯は、一柄一配色で何十本と織るのが業界の常識です。「丸太やオリジナルコレクションコンサート」は極力、同じ物は二つと無い、という前提で制作していますので袋帯は不可能に近い、と半ば諦めていました。 それでも「いつか西陣織でバイオリン柄の袋帯が」と願い続けて、そういう思いを伝え続けてきました。5年前のことです。和装小物問屋「大原商店」の掛水一男さん(現シルクブレイン代表)が「気骨のある西陣の織元さんがおられます。一度、ご相談されては」とヤマキ織物社長山口和市郎さんをご紹介くださいました。初対面の山口和市郎さんは、まさに謹厳実直、織一筋で歩んでこられた厳しさが言葉の端々に滲み出ていました。私共の思いをお話すると、「分かりました。やりましょう。一本から」と、おっしゃってくださったのです。「最低、何本から」と言われることを当然のことのように想定して、何本からだったら織っていただけるのだろう、と想像していただけに、その申し出は驚きでした。「構いません。一本から織りましょう。でないと、話が先に進みません」。袋帯を制作するためには、まず図案を描かねばなりません。その図案に基づいて紋紙を作り、織機に糸の拵えをして、やっと織り出すことが出来ます。図案代、紋紙代、糸代、工賃、にかかる諸経費は、何十本か織って初めて回収できるのです。もし、数本しか制作できなかったら初期投資は回収できないのです。「一本から」という、まさに、思いがけない申し出に、私共が甘えることを自ら認めたのは、決して一本や二本で打ち止めにはしない、最低でも二十本はお客様にお買い求めいただける、という自信があったからです。 しかし、初対面の私共に「一本から」と約束されたのは山口和市郎さんの気概です。「小売屋さんと、こうして直接お話するのは今日が生まれて初めてです。」織元、産地問屋、総合問屋、小売屋、と厳然と分業化された既存の流通では、織元と小売屋が、直接会って話を交わすことはタブーだったのです。敢えて、業界のタブーに挑戦し、制作の常識に挑戦し、私共の思いを汲み取られたのは山口和市郎さんの気骨です。「丸太やオリジナルコレクションコンサート」にとって画期的なバイオリン柄の袋帯は、その後、お客様から高い評価を頂き既に五十本制作していただくことが出来ました。 昨秋、第二作目をそろそろ作っていただこうとご相談しました。その昔、「京袋」という一重太鼓の袋帯が締め易いと好評だったのですが、いつの頃からか市場から消えてしまいました。二作目は是非「京袋」で、という家内の要望に山口和市郎さんは応えてくださって、「京袋」が「丸太やオリジナルコレクションコンサート」として復活いたします。新作発表の機会に、山口和市郎さんの作品展を開催したい、と申し上げたところ快諾してくださいました。以前に一度お願いした折はお断りになられました。既存の流通で販売されておられるからでしょう。あれから5年、時代はどんどん変わっていく。お客様がお求めになる「きもの」を提供するためには「必要最小の経費」と「必要最短な流通」が不可欠だ、と山口和市郎さんもお考えになられた、と推察いたします。果敢な挑戦にのみ、未来は拓かれる、と信じます。 |